新・じゃのめ見聞録  No.2

   アトムは大丈夫か

2012.1.1


 「3.11」の原発事故の後、今は入ることも許されない原発のある町の入り口で、鉄腕アトムがにこやかに手を上げて歓迎している看板のあるのをテレビで偶然見た。その時の何かしら見てはいけないものを見てしまったような後ろめたさを、どのように表現すればいいのかわからない。私が少年の頃慣れ親しみ、無意識に100パーセント肯定してきた鉄腕アトムが、おやっと思わされる形でそこにあったからだ。そもそも、原発の事故のニュースの最中に、鉄腕アトムに出会うなんて夢にも思っていなかった。

そういえば、アトムの心臓部に「超小型原子力エンジン」が使われているということは、もちろん知る人は知っていた。しかし、だからこそアトムは強いんだと私も思ってきた。少なくとも私はそうであった。しかしそのアトムが、今は誰も入ることに許されない町の入り口で、一人手を上げて人々の来るのを歓迎している。このアトムはそうやって今何をしていることになっているのだろうか。

もちろんそんな看板のアトムなんか、さっさと取っ払ってしまえばすむ話だと言えば、そういうふうには言えるだろう。しかし、町の看板は捨ててしまっても、私の中ではアトムは、胸に原子力エンジンを搭載することで、人間のためになる活躍をする「看板」の役割を果たしてきた事実は消し去れない。このことはどういうふうに考えれば良いのか。
アトムのイメージは、まさに谷川俊太郎が作詞した「♪心やさし ラララ 科学の子 十万馬力だ 鉄腕アトム♪」という主題歌のままのアトムだった。三番の歌詞に「♪街角に ラララ 海の底に 今日もアトム 人間守って、心はずむ ラララ 科学の子 みんなの友達 鉄腕アトム♪」とあり、まさにその通りだった。「人間を守る」のがアトムのイメージだった。でも、子供心にと言うか、少年ながらも二番の歌詞には、妙な、心ざわつかせるものが感じられていた。「♪耳をすませ 目をみはれ そうだアトム ゆだんをするな 心ただし 科学の子 七つの威力さ 鉄腕アトム♪」。ここには何かしら子どもに不信感を植え付けるような、大人びた歌詞だなあと感じられるものがあった。

「ゆだんをするな」という警告のフレーズは、口ずさむときに、子どもなりに妙なリアリティを感じていたことは今でもはっきりと覚えている。しかし、その時の「ゆだん」をしてはいけないものは、アトムの「外」にいるもの、私の「外」にあるものだと感じていた。歌の歌詞からすれば、そういう事なのだろうが、今となってみれば、この歌詞は意味深長で、「アトムに気をつけろ!」と読み取ることもできる内容を含んでいることがわかる。「耳をすませ 目をみはれ そうだアトム ゆだんをするな」というのは、「おまえも油断をすると爆発するぞ」とアトムに警告しているようにも読み取れるからだ。

 「3.11」の原発事故の後、ふと感じたこのアトムへの想いを、どう処理したら良いのかわからずに、でもあんなにたくさんな人がアトムをおもしろがってきたのだから、きっと、あちこちでそういうことについては取り上げる人がいるだろうと思ってきた。が、私のアンテナの低さのせいか、心に止まる論には出会えてこなかった。もちろんアトムに触れた論がないわけではなくて、たとえば川村湊『原発と原爆』河出ブックス2011.8などがあるのだが、この半年ほどに出た多くの本がそうであるように、「原発の問題点」を急いで調べましたという荒い息使いが気になって、「自分の中のアトム」に引きつけられているところがうまく見えてこなかった。同じアトムに触れながら、うんと以前に書かれた武田徹『「核」論ー鉄腕アトムと原発事故のあいだ』中公文庫2006.2の方が、「自分の抱えるアトム」によく向き合っていると感じられたが、それでも「アトムの問題」は、私が気になる方向では論じられていなかった。

私にとっての「アトム問題」は、「アトムの終わり」を意識しなかったという所にある。その楽天さが「原発の終わり」を意識させてこなかったことにつながってゆく。このことは、手塚治虫がアトムの連載を終わらせることで悩んでいたことと重なってゆく。手塚は連載のアトムが、あまりにも「子どもじみた正義の味方」のままで続いていることに嫌気がさしていたし、早く連載を終わらせたいと思っていた。しかし、その終わらせ方には、私たちはほとんど関心を示してこなかった。谷川俊太郎の歌のままで止まっていたのだ。しかし手塚はアトムを何とか終わらせようとしていた。その時が来たのは『少年』連載の昭和40年10月号から翌年の3月までに連載された「青騎士の巻」であった。ここでアトムは、15年の連載を終えることになる。と言っても、実際にはまた「アトム復活」として連載が始まるのであるが、私は一度アトムが終わったところを今になってよく見ておかなくはならないと思っている。

「青騎士の巻」は、ここでは人間に虐げられるロボットの中から、ロボットのための国を建設するために「青騎士」が立ち上がり、その青騎士に殺されそうになった人間のロッス博士をかばって、アトムが破壊されてしまう物語である。その時のアトムは、首がちぎれてなくなり、胸の上部も壊れて中の部品がむき出しになっていた。「青騎士」もその後爆発させられてしまうのであるが、物語の最後の場面では、お茶の水博士が、首のなくなったアトムを抱き上げて科学省へ向けて歩いて行くところで終わっている。

私が今の時点で気になるのは、このアトムの壊れ方であり、手塚治虫のアトムの壊し方である。このときアトムは首を吹き飛ばされ、上部に大きな破損を受けたということは、心臓部の「小型原子力エンジン」も被害を受けているという事になる。となると、原子炉の破壊ということになり、周囲には放射能漏れが起こっているはずであった。しかし、漫画ではそういうことにもならずに、お茶の水博士が両手でアトムを抱えて歩いて行くのである。たかが漫画のことで、今さら何を「問題」にしているんだと言われそうであるが、私は今ここで手塚漫画の批判をしようとしているわけではない。そうではなくて、手塚も、私たちも「アトムが壊れる」ということを、たぶんそういうふうにしか意識してこなかった経過があるのではないかという事について考えたいのである。つまり、アトムが活躍するには「原子力」がいる。しかしアトムが壊れるときは、機械人形が壊れるように壊れるだけだというイメージについてである。「原子力」や「原子炉」が壊れるとは、どういうことが起こることなのかというふうには、ストーリーの中では考えられていないのである。

 その証拠に、「青騎士の巻」の次の巻で、お茶の水博士は、アトムを復活させようと、様々な試みをするのだが、そのつど爆発を繰り返し成功しないのである。「問題」は、その爆発の描き方である。漫画では20数回失敗し爆発しているのだが、中には胸部が木っ端みじんに吹き飛んでいる情景が描かれているところがある。まさに「原子炉」が吹き飛んでいるのである。でも、周りにいた科学者たちは、被害を被るにしろ「被爆」したようには一度も描かれることはなかったのである。何度爆発してもアトムは何事も無かったかのように、また同じ研究室で同じ科学者たちによって再生させられるというのが、この時のアトムの描かれ方である。
今となれば、こういうアトムの再生のされ方に違和感を抱かずに認めてきた感性が、おそらく戦後の日本人の多くの感性に似ていたのではないかと私は思う。「大活躍」させるための「原子力」への期待や承認と、それが「破壊」される時のあまりにも簡単で非現実的な理解の仕方。その間にあるひどい無理解の落差。もちろんそれは、漫画だからと言うこともあるだろうが、「原子力」の「活躍」の理解と、それが「破壊」「終焉」をむかえる時の安易な理解の落差は、おそらくその後の日本人の「原子力」への大衆的な認識を方向づけていたように私は思う。そうでないなら、原子力発電所を誘致した町の入り口に、鉄腕アトムの看板を立てるようなことはしなかったはずだからである。鉄腕アトムは、つねに「活躍するアトム」であって「終わりのあるアトム」としては承認されてこなかったのである。

これは誰の「問題」なのか。手塚治虫の問題なのか。もちろん、それもあるだろう。「活躍する原子炉」を描くだけで、それが破壊される時の問題を彼は一切描いてこなかったからだ。寄り道になるが、このことの「問題」にいち早く気がついていたのはアメリカである。2009年にアメリカで制作された『ATOM』(米題「Astro Boy」)では、原作と同じように「アトム」はテンマ博士の息子トビーが事故により亡くなり、その代わりに制作されたロボットだった。しかし原作と決定的に違っていたのは、動力源として搭載されていたのが究極のエネルギー「ブルーコア」であった。アメリカはそこでは注意深く「原子力エンジン」の搭載を避けたのである。物語は、その「ブルーコア」を狙ってやってくる「敵」との戦いが見せ場になっている。確かに、そういうふうにしてしまえば、「原子力」が問われることはなかっただろう。しかしそういう設定は、現代だからこそ想定できるもので、実際の鉄腕アトムが構想された昭和26年(1951)では、その後の原発事故は想定しようもないことであった。だから今の時点に立って手塚治虫の描き方を批判するのはフェアーなやり方ではないだろう。

しかしそれでも、私たちは「原子力エンジン」を搭載したアトムの「活躍」を手放しで受け入れてきた「問題」には目をつぶるわけにはゆかないだろう。それは手塚批判ですむ問題ではないように私は感じている。戦後の経過は、よく知られているように次の通りであるが、アトムの書かれた時期と重ねると、原子力を小型の動力源として使う事を始めた「原子力潜水艦ノーチラス号建造」より先駆けているのがわかる。この発想を受け継いで日本の「原子力船むつ」が建造されることになる。しかしこの「むつ」は、初の原子力航行試験中に放射線漏れを起こし、その後16年の間の4回の実験航海をへて廃棄・解体されることになっていった。


1945.8.6 広島原爆投下
1945.8.15 日本無条件降伏  アメリカ軍占領
1951.4 「アトム大使」 
1952.11 アメリカ初の水爆実験(広島の1000倍)
1952.4「鉄腕アトム」(アトム大使)連載開始
1953 アイゼンハワー国連演説「平和のための原子力」
1954 ソ連 水爆実験 アメリカ映画「原子怪獣現れる」
1954.3 アメリカ15メガトン水爆実験 日本マグロ船 第五福竜丸被爆
      原子力潜水艦ノーチラス号建造   映画「ゴジラ」
1956 「鉄人28号」
1963.10 日本で最初の原子力発電。東海村に建設。原子力船むつ建造。
1979 スリーマイル島原発大規模事故発生。
1986 ソビエト、チェルノブイリ原発で核暴走事故。


結局、実用化のめどが立たないままに「むつ」は解体されるのだが、私たちは「むつ」の華々しい登場の仕方に比べ、その「終わり」については、ほとんど意識されないままに来てしまっていたのが分かる。それは、アトムが爆発はすれど、そのまま「安全」なイメージでその後も人々のイメージの中に残り続けてきたこととどこか似ている気がする。戦後の日本人は、「原子力の活用」にはさんざん宣伝を広げてきたが、同時にその「終わり」イメージについて学習することは驚くほど回避されてきたのである。もし手塚治虫が「青騎士の巻」で、アトムの破壊が放射能汚染につながることを少しでも描いていたら、おそらく多くの子どもたちの心に、「小型原子力エンジン」のプラスとマイナスの公平なイメージが植え付けられていたかもしれないと思う。少なくとも、子どもの心に「♪耳をすませ 目をみはれ そうだアトム ゆだんをするな♪」というような歌詞が不吉な感じで残るように、少しでも「放射能汚染」を描いてくれていれば、何かしらの警戒心を子どもたちなりに持つことができたはずである。このことを、手塚批判だけに収めてはいけないのは、この「青騎士の巻」を読んだ当時の誰からも、「そういう批判」は起こらなかったことを思い出しておきたいのである。知識人も含めて多くの日本人が、「原子力エンジンを搭載したアトム」の「終わり」を、非現実的に容認し続けてきたという事がそこにあったのである。
そのことを私は私のこととして考えておきたいのである。ここには、もちろんたかが漫画の描き方に、そんなに現実性を求めてどうするんだということもあったと思われるが、そこには、たとえ漫画にしろ「原子力エンジン」の表現の仕方には、何が何でもこだわるのだという姿勢が育ってこなかったことは認めなくてはいけないと思う。そして、そこにやはり戦後の日本の文化の特徴の一つがあったことは考えておかなくてはならないと私は思う。

そしてこのことに関連して「鉄人28号」についても少し触れて起きたいと思う。神戸淡路大震災の復興のシンボルとして、2009年9月神戸市長田区の公園に巨大な鋼鉄の「鉄人28号」が作られたことは話題になってきた。先ほどの年譜を見てもらうと、アトムの連載に遅れること4年目にこの「鉄人28号」が連載されている。こちらは操縦桿で操られるロボットが主人公で、自分の意思を持ったアトムとは対照的な存在であった。ある意味では、アトムなんかより遙かに旧式のロボットのように見えていたが、なぜか子どもたちは、アトムにはない魅力を「鉄人28号」に感じて読んでいたと私は思う。その魅力はどこにあったのか。

それは「鉄人28号」が操縦桿を握る者次第で、味方にもなるし敵にもなるロボットだというところにある。今回福島の原発が重大な被害を与えたことにつて、被害防止のマニュアル通りに事が進んでいなかったことがさんざん指摘されてきた。よく考えられ、幾十にも張り巡らされた危機防止のためのマニュアルはあった。しかしそれを操作するのは最後は人間だったのである。それはがうまくいかなかったのは、操縦者がうまく操縦桿を操作できなかったということである。このことを考えると、実は福島原発は巨大なロボットであったことが分かってくる。でも、私たちには、福島原発がロボットであるという意識はまるでなかったのである。何かしら「全自動で動く」機械のように見ていたところがある。あたかもアトムのように自分の意思で安全管理をしているような者として見ていたところがある。しかし実際には、そういう「全自動の機械」ではなく、「鉄人28号」のような操縦型ロボットだった、ということが今回の事故の後わかってきた。いくら見事なロボットでも、最後は人間の操作にかかっているのだというのが「鉄人28号」の主題であり、おそらくかつての子どもたちが、子どもたちなりに、アトムには見られないリアリティを感じ取っていたところがそこにあった。ロボットには操縦者が必要なのだという感覚。この大事な感覚は、手塚治虫の「鉄腕アトム」からではなく、横山光輝の「鉄人28号」から子どもたちが手に入れていたものであった。

 しかるに私たちはロボットを「全自動」のようにみなす時代の流れに流されてきて、いつしか福島原発もロボットであるというふうには見なくなってきたし、そこに操縦者がいることに深い理解を示さないままに来てしまっていたのである。こうした原子力の小型化、動力源化、ロボット化の問題は、すべて先ほどの年表の中から始まっていたのである。そのことに今になって気づいたことの後ろめたさが、きっとテレビで一瞬見たアトムの看板にあったのだと今になって思う。

 ただもう一つ気がかりなのは、この年表の中にある映画「ゴジラ」の問題である。今回の福島原発事故と映画「ゴジラ」を絡ませて論じる論もきっとたくさん出回っているのだろうと思う。しかし、今回のこのアトムの論考で「問題」にしたことが、そっくりそのまま映画「ゴジラ」にも当てはまると私は考えている。映画のポスターにもあるように、「放射能を吐く大怪獣の暴威」がこの作品にあるのなら、火を噴いて送電線を溶かす場面で、なぜ制作者はもっと「被爆」を描くことをしなかったのか。まるで焼夷弾で破壊されたかのような町の光景や、そこを逃げ惑う人々を描くだけで、「放射能」に苦しむ人々の場面は描かれなかった。これも「娯楽映画なんだから」ということで許される範囲にあるのだと思うのだが、それでも看板に「放射能を吐く大怪獣の暴威」とうたいながら、全く「放射能の暴威」のかけらも描かないままに終わったのは良くないと私は思う。結局、その後も多くの子どもたちにゴジラの現れるのを無批判に期待させてきたのは、アトムが破壊されても終わらせることができずに来たことと、どこか似ている気がするからだ。

このことと、映画の中でされている次のような山根博士と尾形のやりとりは、その後の原発の賛成反対の議論を先取りしているように見えて興味深いが、機会があればまた考えてみたいと思う。

山根博士:「ゴジラを殺すことばかりを考え、なぜ物理衛生学の立場から考えようとしないんだ。ーこのまたとない機会に。」
尾形:「先生、僕は反対です」
山根博士:「尾形くん。わしは気まぐれで言っているのではない。あのゴジラは、世界中の学者が、誰一人みたこともない、日本だけに現われた、貴重な、研究資料なんだ!」
尾形は決然として、
「しかし、だからと言って、あの狂暴な怪物をを、あのまま放って置くわけにはゆきません!ゴジラこそ、我々日本人の上に、今もなお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか?」
山根博士:「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密を、なぜ解こうとはしないんだ」
山根博士:「君までが、ゴジラを抹殺しようというのか?帰り給え!帰ってくれ給えーー」